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2012年8月8日水曜日

第10回キャリアセミナー


10回キャリアセミナー(2012719日)

今回はBTSアソーク駅直結、パーソネルコンサルタントのオフィスで、同社アドバイザーをされている鈴木さんにお話を伺いました。

~鈴木さんの経歴~
昭和21年群馬県前橋市生まれ、高校生まで前橋で過ごし、神奈川大へ進学
川崎製鉄(JFE)就職、現在は中高年日本人の再就職を後方支援


第1部        DVD 灼熱アジア、タイ

技術移転 灼熱アジア~
先日、アマタナコン工業団地で見学した株式会社南武社長、吉富さんが出演
FTA自由貿易協定」原産地証明書を入手すれば、関税免除か減額
 価格競争力を手にいれた

中国、韓国、日本などとASEANが関税撤廃協定
ASEANに工場を移せば、原料も製品輸出も関税が0になる。
中国やインドも同じく関税免除となるので競争は激化
海外進出するは、世界との戦いとなる。
中枢部分(研究、開発部門)も日本からの移転が増えている。

吉冨社長は、
「営業すればするほど市場が広がるが、やりがいも辛さも日本以上」
黙っていても日系企業から仕事が入ってきた時代は終わった。
日本ではなかった厳しい値下げの要求。
見積もりの段階で、提示する価格が非常に重要になる。」と述べていた。


2 -国境なき就活-

AEC
2015年に、関税がなくなる。人も自由化。一体化しないのは政治、軍隊くらい。
一番大切なことは「自分に正直であれ」
企業は人・物・金
全ては人からはじまる。企業は人次第、人が8割、ほかは2割。
人は教育、訓練次第で成長する  従業員を大切にする会社(のみ)が成長する。

鈴木さんの考える「企業が求める人材~企業サイドで一番求めているのは~」
会話力-ディベートできるように-
挑戦する精神、協調性
団体戦-ホウレンソウ-

鶏口となるも牛後となるなかれ(中小企業には、やりがい、活躍の場がある)

もっと自分を知る事が大事。
・何が好きなのか
・何ができるのか
・何がしたいのか
海外インターンシップで何を学んだか、成果を基に自分の将来像を時間軸に整理整する。
中央に話者の鈴木さん、左からインターン生の近藤、小野、坂田、小山、岩田、赤塚、山崎

~終わりに~
 資料を配布していただき、しっかり考えを深められるキャリアセミナーとなりました。 タイに進出している日本企業と幅広く交流されている鈴木さんの話は、非常に有益で興味深く、感銘を受けました。

 世界は急速に変化しています。家庭教育も大学教育も世界の変化に対応してゆく事が大切だと鈴木さんはおっしゃっていました。
 就活スタイルも多様化し、今後は海外の日系企業で現地採用として働く新卒も増えそうです。どの道を選んでも間違いではないほど選択肢が広まる中、納得して自らのキャリアを積極的につかんでいく必要があると強く感じました。
(文責:坂田)

2012年8月6日月曜日

アマタナコン工業団地見学

7月6日、チョンブリにあるアマタナコン工業団地を訪問しました。以前アマタナコン工業団地で勤務されていたパーソネルコンサルタントのアドバイザー鈴木さんのご協力のもと、
合計4社の日系製造企業の工場を見学させて頂きました。


最初はアマタナコン工業団地事務所で、鈴木さんよりタイの現状、タイにある工業団地、
アマタナコン工業団地についてレクチャーを受けた後、以下の企業を訪問しました。

・日本ペイント
・SBコイルセンター
・西居製作所(オオタテクノパーク)
・南武(オオタテクノパーク卒業会社第一号)

今回の訪問を受け入れてくださった各担当者の皆さん、ありがとうございました。


NIPPON PAINT (THAILAND) CO., LTD.

初めに訪問させていただいたのは、日本ペイント株式会社NIPPON PAINT (THAILAND) CO., LTD.です。1881年に創業された歴史の長い会社であり、塗料のリーディングカンパニーとして知られています。今回の見学では、会社説明はGeneral Managerの牟禮さん、工場内での説明はFactory Advisorの多田さんがご担当してくださいました。

タイには1967年、シンガポール資本の企業と日本ペイントの合弁会社として設立されました。汎用はパパデン工場(サムットプラカーン)、工業用はバンパコン工場で製造を行っています。汎用では主に建築用塗料、工業用では自動車塗料を多く生産・販売しています。昨年2011年度のタイ塗料市場シェアを21%占めています。昨年は洪水、日本の震災を影響を受け業績がやや下降しましたが、今年は需要をまかなうのが大変になってきているほど、上昇しているそうです。

工場では1階でフィルタリング充填2階で生産工程の管理を行っています。製造過程はそれほど複雑ではなく、比較的簡単なシステムで製造されています。以前他社の工場を見学した際に、細かい部品組み立て作業、品質管理を多くの女性従業員が担当されていましたが、貴社では力仕事が多いため男性従業員が目立ちました。また工場内を見学して印象的だったのは、工場敷地内の色使いがとても綺麗だったことです。壁や至る箇所が鮮やかに塗られていました。

また展示品の中で、各国・地域での自動車の人気色を調査したデータが展示されてありました。データによると、日本、アメリカ、タイでは白が一番人気で、ヨーロッパ諸国では黒が圧倒的に売れていました。ヨーロッパではダークな色を好む人が多いそうです。日本はシンプルな色が多く、アメリカでは白の次に赤などの濃色が人気のようです。塗料メーカーならではの、興味深いデータでした。

競合メーカーは何社かありますが、貴社では「コスト」と「サービス(アフターサービス)」で差別化を図っています。社員マネジメントとしては、基本的に日本のやり方を導入しますが、タイに合う様に幾らか修正を加えて「応用する」という形をとっています。

日本ペイントは1962年にシンガポールで合弁会社を設立し、その後、アジアのみならず、北アメリカ、ヨーロッパに約50社の拠点を構え、業界トップの海外展開を行っています。社会全体で叫ばれている様に、これからはグローバル化の時代。積極的な海外進出及び海外ネットワーク強化により、幅広い事業を展開することが出来ます。このグローバル社会の中でビジネスをしていくには、視野を外に、世界に向けていかなければと強く思います。日本ペイントは日本のグローバル企業の代表として、今後も益々日本をリードしていく企業であると実感しました。
(文責:赤塚)



SB COIL CENTER (THAILAND) LTD.


2件目にはSB COIL CENTER (THAILAND) LTD. にお邪魔させていただきました。SB COIL CENTER (THAILAND) LTD. 2004年に創業した住金物産のグループ会社で自動車、電機業界を支える鉄鋼加工会社です。

まずはじめに工場の中を一望させていただきました。多種多様なコイルが並び、それを加工する機械が鎮座しており圧倒されました。御社ではこのコイルを輪切りにしたり、指定の大きさのプレートにしたりしているとのことでした。

ご案内していただいたのはVice Presidentである泉谷さん。泉谷さんはタイに赴任してきて24年半、赴任当事のことから現在に至るまでの様々なお話を伺うことができました。なかでも印象的だったのは、仕事のやりがいを経営者の性だとご自身でもおっしゃっていたが、会社の利益が上がること、仕事が埋まってきたときに感じることでした。そして経営者として大切なことは常にクリエイティブな仕事ができるかどうか考えながら行動することだとも。

クリエイティブな仕事を出来るかどうか考え続けることは非常に難しいことだと思います。しかしそれはベースとなる社会人としての知識をまだまだ身につけていないからではないかとも考えました。
これから先、大きく成長するために常に少しでも物事が新しいことが何かできないか、考え続けていくことからはじめていきたいと感じました。
(文責:岩田)

NISHII FINE PRESS (THAILAND) CO., LTD.

3社目に訪れたのは、アマタ工業団地内にある、小規模賃貸工場のオオタテクノパークに入居をしている会社、西居製作所(Nishii Fine Press (Thailand) Co., Ltd.)です。

私たちがオオタテクノパークに到着すると、入居をしている会社の製品が展示してあると共に、左のような看板が目に飛び込んできました。
 オオタテクノパークは、一言で言えば「タイの製造業を支える大田区基盤技術の集合工場」とのこと。

その後社長の西居広和さんが私たちを出迎えてくれ、工場を見学させていただきました。
西居製作所は昭和24年に設立をされた会社で、主にデジカメ、携帯用リフレクタから極薄フィルムまで、精密プレス製品を手がけます。

もともと日本で事業を行っていましたが、販売先のお客様の海外進出が進み、海外へ輸出することが多くなってきて、西居さん自身もお客様の中国における事業立ち上げを手伝うために中国で2-3年ほど過ごしました。

そんなさなか、中小企業を集積する、レンタル工場の中小企業でも進出が容易だという売り込みでオオタテクノパークの話が舞い込んできました。将来性があると見込み、
西居製作所は
20074月にオオタテクノパークに入居をします。こちらで順調に工場の面積を増やしていき、最近は工場が手狭になってきているそうです。

タイには日系企業が沢山ありますが、名前の知られていない中小企業が売り込みに来ても、中々話を聞いてくれませんが、大田区の技術力を持った会社だということをアピールすることで、タイにある日系の会社を中心に売り込みができるのではないかとのことです。
(文責:近藤)

NAMBU CYL (THAILAND) CO., LTD.

最後に見学させていただいたのは、油圧シリンダメーカー 株式会社南武 (NAMBU CYL (THAILAND) CO., LTD)です。Managing Directorの吉富さんに案内していただきました。

こちらの企業は20022月にタイに進出し、20066月から20125月まで、上述の『オオタテクノパーク(以下、OTP)』に入居していました。長屋のような雰囲気で互いに情報交換がしやすく、居心地のよかったOTPでしたが、レンタル工場なので拡張ができませんでした。NAMBUさんは事業が順調に成長していったので、2010年に自社工場の建設を決め、今年の6月には新工場に移転、同720日には開所式を行い、現在はアマタナコン工業団地内の一角で新工場を稼働させています。

海外に進出した理由は、油圧シリンダの純正部品の確保ならびに、タイ・アセアン諸国に完成品を供給するためです。今ではたくさんの中小企業だけでなく、安倍元首相や大阪の橋下元知事も視察に訪れるほどの経験と実績を持つ企業になりました。

『産業の空洞化』について意見を求められたときは、吉富さんは「海外進出が日本や自社にとってマイナスになるとは限らない」と答えるそうです。理由は、南武さんはタイに進出したことで市場が失われずに済み、タイでの仕事も増え、結果的に本社が潤っているからです。つまり南武は、間違いなく成長しているのです。

海外に進出し現在に至った今、吉富さんが強く思うことは『情報量』の大切さです。
情報が不足していると判断を間違え、命取りになるかもしれない。特に昨年の洪水では、従業員を守るためにギリギリまで情報を集め、適切な時期だけ避難できるようにしました。

また、労使交渉でも情報が非常に大切です。タイ人のほうが情報量を持っていることが多く、「他の企業では○○バーツもらえるのに」と主張する社員に、如何に納得してもらうかが難しいそうです。
昨年よりも、もしくは周りよりも給与が低いだけで、タイ人従業員にとっては不満となり、会社を去ってしまうことになります。

ある日系企業では、新人の通訳さんが間違ったニュアンスで給与の説明をしてしまったがために、タイ人従業員が全員やめてしまい、会社が回らなくなってしまったことがあったそうです。
一番最初に優秀な通訳をいれて、細かなニュアンスも的確に伝えられるよう環境にすれば、このようなことは未然に防げるそうです。

新たな取り組みとしては、従業員としてインド人を雇用していることです。今後は間違いなくインドがNO.1の市場になるはずですが、インドは宗教的・文化的背景から一筋縄ではいかない国で、味方がいないと踏み込むのは困難だろうというのが吉富さんの考えでした。
一般にタイ人とインド人の折り合いは悪く、製造業でうまくいっているところはなかったそうです。様々な人から反対されましたが、「初めてだから失敗してもいいや」という気持ちで始めた結果、意外にうまくいって現在に至ります。
  
南武さんでは、3年以上働いた従業員を順次日本へ連れて行く取り組みを実施しています。
1ヵ月前から日本のどこに行きたいか計画を立ててもらい、56日で吉富さんが案内します。
工業団地で働くタイ人従業員は農家出身の人が多く、飛行機にすら乗ったことがない人が多いです。タイは親日家が多いことで有名なこともあり、「せっかく日本の企業で働いているのだから、日本に連れて行ってあげたい」という思いで始まったそうです。

年に3回は従業員一人一人と面談する時間を設けており、60人の従業員と吉富さんで話をします。好きなことを話していいという場なので、聞き手の吉富さんとしては楽ではありません。しかし効果はあり、トラブルの火消しに一役買っています。面談が全て終わった時はいつも重要性を感じるそうです。

工場では整理整頓と安全を重視しており、月一で工場をストップさせて大掃除を行います。あいさつは従業員同士でもするようになり、私たちが見学に行った時も、従業員の皆さんは作業の手を止めて笑顔で挨拶してくださいました。

タイ人は手先が器用で、身の回りのもので素晴らしいものを作り出すことに長けています。新工場でも、彼らのアイディアで作られた道具がたくさん置いてありました。特に固定器具は、本社がアイディアを取り入れたほどの完成度だそうです。
 
吉富さんの言葉で印象的だったのは、「タイ人が定着しないのは、タイ人のことをバカにしているから。タイ人のいいところをよく褒めている会社はうまくいっている」というものでした。
その言葉通り、南武さんはとても「人」を大切にして、従業員がイキイキと働く魅力的な企業でした。
(文責:坂田)


2012年6月13日水曜日

第9回キャリアセミナー


今回のキャリアセミナーは6月7日にJACリクルートメントタイランド社長の蒲原隆さんを招いて開かれました。
JACリクルートメントタイランドは、タイにある日系を中心とした外資系企業に対し、英語か日本語の話せるタイ人、英語やタイ語を話す日本人の紹介を行なっている人材紹介会社です。

今回のキャリアセミナーはBTSプロンポン駅直結、エンポリアムタワー10階にあるJACリクルートメントオフィスにて1時間ほどで行われました。
参加者は在タイ日系企業でインターンシップを行なっている日本の大学生及び新卒です。

蒲原さんの経歴

長崎の高校出身、九州大学の文学部へ行き、フランス語を専攻。
はじめは教師になる予定だったがビジネスマンになることを決意。
その後就職活動をしてリクルートに内定、上京をする。

リクルート
○学び事業部
大学や専門学校の学募集用のお手伝いをする仕事、広告を取ってくる営業マンとして活躍。
この時、様々な教育機関に行き営業をしていたが、ひと通り学んだ後、企業を相手にビジネスをしてみたいということで部署変更を希望。

○リクルートエージェント
人材紹介ビジネスに従事し、半導体と通信事業の担当。
なじみのない分野で苦労をしたが、必死に同業界について勉強をし、技術的な話よりもキャリアプランの話をすれば良いことに気づき業績を上げる。
四半期で30人のプレースメントをし、当時のギネス記録を更新。

-この頃人材紹介というビジネスモデルが一般化してきた。

○1996年セカンドキャリアプロモーション事業部(現リクルートキャリアコンサルティング)に異動
再就職支援ビジネス。ちょうど不況の波が吹き荒れ、大企業が「早期退職の退職金+再就職支援のエージェント」を与えて雇用調整をしはじめる。
この再就職支援を担当し、ビジネスの立ち上げに貢献。

○30半ばに、奥様と一緒に、カナダに1年間の語学留学へ旅立つ

○その後日本に戻り、1996年リクルートエグゼクティブへ。
当時エグゼクティブの人材紹介があまり行われていなかった製造業を担当。
需要はあったので市場を伸ばし、General Managereまでになる。
エグゼクティブの転職者は海外ビジネスをやっている人が多く、刺激を受ける。

○2009年JACリクルートメントジャパンに転職
インターナショナルディビジョンと、エグゼクティブディビジョン部長を兼務。

○2010年、40代半ばにしてJACリクルートメントシンガポールへ
日本人、現地人、日系、外資系と様々なオペレーションがあることを学ぶ

○2011年からJACリクルートメントタイランド社長へ就任
洪水被害などを経験するも売上を順調に伸ばす

以下研修生からの質問と回答
Q.大きな挫折や失敗はありましたか?
A.何があっても基本的には失敗だとは考えない。やってみてもうまくいかないのは全て意味がある。
つまずいた時は、これは将来何に役立つのだろうと考えるようにしている。

Q.社長になってみて部長などと違うことは何ですか?
A.部長の時も本気でビジネスをしていたが、本気度とコミットの強さが社長と部長ではぜんぜん違う。
また、社長だと責任も大きいが才量が大きいので面白い。

Q.人材ビジネスが好きなのはなぜですか?
A.成約をすることによって多くの人が喜ぶから。

Q.自分で作った会社ではないのに、会社にコミットできる理由は?
A.いい会社というのはスタッフをはじめ、お客様や協力会社様などがハッピーになれる会社
会社を大きくすれば、より多くの人がハッピーになれる。

Q.今後のキャリアはどうするのか
A.今はJACタイランドの経営に全力を尽くしている。まずはこれをやりきりたい。

[研修生へのメッセージ]
どんなキャリアを積んだら良いか、時流に乗っているか、ということを考えるのはやめるべき。
どんな仕事でもやりきるまでは損得勘定をしない事が大事。やりきった人にキャリアパスが与えられる。
そうしないと上滑りをしてしまいます。

2012年6月10日日曜日

チョンブリ工場見学


524日、チョンブリ県内の日系企業5社(製造業4社、物流業1社)、
日本人学校
1校の合計6箇所を訪問してきました。

今回は特に、チョンブリにある3つの工業団地、サハ工業団地、ピントン工業団地、
イースタンシーボード工業団地、またレムチャンバン港もタワーから湾岸見学させてもらるなど
とても盛り沢山な内容で、学びの多い一日となりました。
今回の工場見学は、ASAHI KASEI SPUNBOND (THAILAND) CO., LTD.
川口様のご協力により実施することが出来ました。

快く受け入れてくださった訪問先の担当者の皆様、ありがとうございました。


<訪問先(訪問順)>
DOME COMPOSITES (THAILAND) CO., LTD.  
K LINE (THAILAND) LTD. 
SHINSEI MOLDING CO., LTD. 
・泰日協会学校シラチャ校(シラチャ日本人学校) 
TOGO SEISAKUSYO (THAILAND) CO., LTD. 
ASAHI KASEI SPUNBOND (THAILAND) CO., LTD. 


DOME COMPOSITES (THAILAND) CO., LTD.
DOME
はレーシングカー製造から出発した、カーボンコンポジット製造業者で、現在では日用品から、列車の座席に至るまで、様々な炭素繊維加工品を製造している。

DOME2005年にタイに進出を果たした。やはり、進出の目的は人件費の安さだ。

工場見学をしていて、まず初めに気になったのは女性の多さであった。こちらの工場では男女比率は4:6。日本では男性社員がほとんどを占めるラインすら女性が行っているという。特に微細で集中力を要する行程ほど、タイ人女性社員の方が向いているそうだ。

一番の驚きはタイ人スタッフが、細かな手作業をこなしていた点であった。カーボンコンポジット製品はどうしても機械化できない行程が多く、匠の技術が必要だと言われている。一体、どのようにして、技術移転を行ってきたのか尋ねてみた。
主流の方法はやはり、日本に研修生を送り込む方法だ。そして、研修経験者には後輩に技術を教え込むように促す。タイ人従業員は自分が技術を得ると、人に教えたがらないきらいがあるので、社内の技術移転も大変だと言う。また、日本から新製品のマニュアルが送られてきたときは現地の状況に合わせてアレンジしたり、アレンジさせたり、従業員の裁量に幅を持たせ、仕事にやり甲斐を持たせているそうだ。

日本の中小製造業者が海外進出に悪戦苦闘している中、技術移転の困難さを乗り越え活躍しているまさにこれからの中小企業のお手本と言える企業であった。
(文責:山崎)



K LINE (THAILAND) LTD.
川崎汽船株式会社は、大正8年に設立された海運業を中核とする物流企業である。

 今回は泰国川崎汽船の小澤さんのご案内により、タイを代表する港湾であるレムチャバン港を訪問。港内にある展望タワーから港全体を見渡しながら、お話を伺った。この展望タワーや港へは関係者以外立ち入ることは出来ないので、大変貴重な機会に恵まれた。

レムチャバン港は1991年に開港され、1997年にはバンコク港の貨物取扱量を追い抜きタイ最大の国際貿易港となった。バンコク港では河川港により大型船が寄航できないこと、またバンコク港周辺道路の渋滞が激しいことから取扱量に限界があったため、レムチャバン港が開港された。レムチャバン港は水深が16mあり、世界最大規模のコンテナ船も寄航可能だ。世界の
主要コンテナ港湾の中では23位に位置している(2011年時点、1位は上海)。

荷役はほぼ日本と同様のやり方で、世界標準のオペレーションの高さを誇っている。本船から岸壁までガントリークレーンを使用し、コンテナヤード内ではトランステナー、リーチスタッカー、トップリフターを使って行われている。また、コンテナヤード内でのコンテナロケーション、入出庫等の管理は全てシステム管理されている。ここで導入されているシステムは日本でも使用されているものだそうだ。

また、レムチャバン港はPATPort Authority Thailand、日本の港湾局にあたる)が所有しているが、オペレーションは民間企業によって行われている。日本の資本も多く入っているそうだ。
港に隣接している工業団地も、日系企業の数の多さが目立った。

物流業においても、日本のシステムやオペレーションが活用されていることから、技術の高さやシステムの細かさで日本は世界に貢献していることを実感した。

(文責:赤塚)



SHINSEI MOLDING CO., LTD.
SHINSEIは家電業界、自動車業界向けのパーツを中心に製造している。
タイへの進出のきっかけはやはりコストで大部分を占める人件費の圧縮。成形業界は競合他社が多いため、競争が激しく、近年の原材料費価格高騰をうけて一層のコスト削減が要求されている。最近はインドネシアの成形メーカーをも買収し、タイ工場と共にアジア市場の開拓を推し進めている。さらには、北米工場を中心として、今後建設を予定している南米地域も含めグローバル展開を繰り広げていく計画である。

SHINSEIの強みはなんと行っても、人海戦術を用いた、検査部隊だ。完成品を黙々と丁寧かつ正確に検査しているタイ人従業員には驚いた。Made in Japanの高品質は、中小企業のこういった巧緻を極めた部品作りにあるのだと実感し、また、それがここ、タイでも実現している事には驚きを隠せなかった。

日本の製造業の海外進出に伴う、日本の技術流出について尋ねてみた。
「技術はオープンにして行くべきだ。技術を常に発信していく体制を取らないと、R&Dがストップしてしまう。今の時代はスピードが命だ。技術が奪われるのが怖くて、国内に留まっていたら、あっという間において行かれる」と、石本氏。一方で、技術を外国人に教え込む事が、現場での一番のボトルネックとなっているのも事実。この隘路を克服して行くためにもやはり、優秀な日本人の人材が必要であり、日本人学生には内向きにならず、海外へどんどん出て行って欲しいと言われた。

企業の海外展開が必要だと叫ばれる今日ではあるが、やはり、人材の海外展開が喫緊の課題であると、痛感させられた。同時に、海外で活躍できる人材を育てて行くために、企業の採用活動のあり方も変って行かねばならないと考えさせられた。
(文責:山崎)

          

【泰日協会学校シラチャ校(シラチャ日本人学校)】
世界で一番新しい日本人学校。1991年レムチャバン港が開設し、日系企業が多数進出。それと同時に日本人が多数移住し、2009年シラチャ日本人学校発足となる。日本人の児童生徒が、日本国外に出ると、義務教育の対象から外れるため、現地の学校もしくはインターナショナル校という選択肢になってしまう。いずれは日本に帰って、普通の学校に通う児童生徒が多いため、帰国後日本の教育システムに早くなじめることも、日本人学校に通うことのメリットだ。発足時は88名で、毎年5060名の単位で増加しており、現在242名の児童生徒が通っている。

教育の内容
・日本の教育システムに従って、カリキュラムが組まれている。
・一年間に約35週、1週間に30時間の授業があり、小学3年生以上は7時間目まで授業があることも。
・全学年でタイ語の授業も行っている。
・小学3年生以上のクラスでは週に2日英会話、全学年で週に1日水泳の授業がある。
・学習指導に力を入れており、複数の教師で指導にあたることもある(ティームティーチング)。

課題
日本にいる子どもと比較して、体力テストの平均値が低いこと。(運動する環境が少ない)

教師
文科省から派遣されている日本の現役の先生と、学校が直接採用している先生がいる。文科省からの派遣の先生は、希望者の中から選考されて派遣されるが、どこの日本人学校に派遣されるかは文科省が決定するとのこと。

(文責:小山)


TOGO SEISAKUSYO (THAILAND) CO., LTD.
東郷製作所は、愛知県に本社工場を持つ小物ばねメーカーである。
日本国内で1年間に生産されるホースクリップの数はおよそ11億個。そのうち804000万個、およそ80%の生産を担っている。世界市場でも約30%のシェアを誇る、ホースクリップの世界的メーカーである。

タイでは主力製品であるホースクリップ・フラットスプリング・ワイヤスプリングを製造している。2002年に設立し、従業員は177名(20122月現在)。
ホースクリップは成形、熱処理、錆止め塗装、コーティングの工程を経て完成する。
多くの企業が頭を悩ませる、タイ人と日本人の文化の違い。タイ人は職場をすぐに変えることに抵抗がなく、教えた技術も一人で抱えて新人に伝えないことが多い。そのため、育成コストがかかり、生産効率に影響が出ることがある。しかし東郷製作所では、従業員の退職率が年々下がり、仕事に対する満足度も高い。

その理由の一つにQCサークルの実施がある。QCサークルとは、品質管理活動を自主的に小グループで行う活動を行うことである。課長も運転手も関わる大規模なイベントで、優勝したグループには賞品も用意されており、一丸となって取り組んでいるのだという。

工場見学では、多様な色や形状のホースクリップ・スプリングを目にした。顧客のニーズに合わせて対応しているのだという。例えば高級車に使用する部品は、色が銀色のままであれば高級感が出ないので、工程の一部を変更する必要がある。細部へのこだわりに応えられる高い技術が、日本の自動車産業を支えているのである。
(文責:坂田)



ASAHI KASEI SPUNBOND (THAILAND) CO., LTD.
旭化成は8つの事業会社を有し、領域を区分すると大きく4つの下記事業領域を展開。
    ケミカル・繊維 ②住宅・建材 ③エレクトロニクス ④医薬・医療 である。

同社は繊維(旭化成せんい)の中に位置づけられ、紙オムツの部材となる製品(スパンボンド不織布)を生産・販売する会社である。

紙オムツ市場は、中国、ASEANなどのアジア各国で急速に拡大しており、主に日系オムツメーカーのアジアにおける生産拡大をサポートするため、タイのサハ工業団地内に会社設立を決定した。
 第一期の総投資額は約50億円、20118月着工し、20129月稼動開始予定である。
生産量は約2万トンの巨大な工場で、社員は約70名程度と少ない。

ディレクターを勤める川口建さんは、タイ赴任は20116月からであるが、その前の事業のFS、会社設立業務から関わっているのだという。

多様な分野の人と幅広く交流しなければ、入ってくる情報に偏りが出てしまうとおっしゃっ
ていて、普段も様々な年代の方と関わっているのだという。大学で卒業が数年遅れてもいいから、海外で語学を勉強し、海外インターンにも参加して、世界に出ても通用する人間になる
ことの大切さを話していただいた。

 今回の貴重な経験は、すべて川口さんのご厚意とご尽力によって実現したものだった。
 快く案内を引き受けてくださった会社の皆さまとお話して感じたことを、この日限りで終わらせることのないよう次の一歩をそれぞれが踏み出せるようにしていきたい。

(文責:坂田)



2012年6月2日土曜日

第8回キャリアセミナー


第8回キャリアセミナー

521日、第8回キャリアセミナーを開催しました。

今回は、Hana Worldwide Co., Ltd.の上野さんをお招きしました。

本の洋食店、カラオケボックス、タイ古式マッサージと多種にわたる店舗を経営していらっしゃる上野さんに現在に至るまでのキャリアを中心にお話しいただきました。


【高校~就職・退職】
神戸出身。早稲田大学の付属高校に入学。周りの頭のいい学生に圧倒される。そのまま早稲田大学教育学部に入学。ご本人いわく、あまり真面目な学生ではなかったとのこと。バイトをし、お金を貯め、バックパッカー旅行にいそしんだ。18歳の時、タイにも訪れている。

就職活動の時期になり、「サラリーマンではない道」を考え始める。大学時代のバイトであった小さな家庭教師センターの事務、営業を経験したこと、母親が地元でカフェを経営していたことから、「飲食店を経営しよう」と考えるようになった。

5年くらい飲食の経験を積もう」と考え、庄やグループへ入社。2店舗で経験を積み、そこで店長になる。その後新店舗の店長も勤め、業績もよかったが、当初の計画よりすこし長くなったが6年で退職。自分の店を持つためにまた一歩歩みを進めた。


【タイで経営することになった経緯】
父親の友人の友人であるタイ人の方に上野さんが飲食店経営を考えていることを話したことがタイへ行くことを考えるきっかけになった。その時、タイ人の方は趣味で満足できる飲食店があればと思っていたさなかだった。が当初はあまり乗り気でなかったが、1か月後に下見にタイへ。「日本のレベルの飲食店を当たり前に出せればチャンスがあるかも」と感じるようになった。


【日本洋食店を選んだ理由】
最初は日本洋食店を強く希望していたわけではなかった。しかし、和系の店は数あれど、日本の洋系のお店がほとんどないこと。そして、日本から来てもらった料理人の経験などもあり、日本の洋食を売りにしたレストランをオープンすることとなった。


【開店準備~これから】
タイで準備期間として1年間考えていた。半年間は語学学校に通いながらの準備であった。半年後には現在の場所に物件が決まり、20084月プレオープン、5月にオープンした。

店から少し離れたところにあったマッサージ屋。その店を経営することになったのも縁であった。友人の店の2つ隣でもあるその店。友人の店の前には水が流れ込んできており、聞くとどうやらマッサージ屋からきているとのこと。注意しに友人と行くとFor RENTの文字が。(※タイでは不動産屋がほとんどなく、自分の足で探し、物件オーナーと話がまとまれば契約となる。その際その物件が売りに出ているのか目印になるのがFor RENTなのである。) 興味本位で聞いた売値だったが、物件オーナーは売りに急いでいたようで格安で売ってくれることになった。

飲食店もマッサージ店も同じサービス業。お客様目線で運営すれば必ず支持していただけるはずという思いから、新しい分野への挑戦。これが現在のat ease massage第1号店にあたる。 

その後もカラオケ店MY PORCH musicの営業開始、最近ではat ease massage第2号店もオープンし、ますますの活躍が期待される。


【原動力・考え方】
「有言実行」
夢を具体的に口に出していくこと。
脳がその夢に向かってベクトルが向き、情報を収集していくことができる。
他人に知らせることで自分にもプレッシャーになる。

「ポジティブ」
ネガティブなこと、考えはネガティブなことしか呼ばない。
逆にポジティブなこと、考えはポジティブなことを呼び込んでくれる。

「新しいことに挑戦し続けること」
新しいことをすることが好きな上野さん、思い描いたことを形にしていくことが原動力。

「自分が思ったら幸せ」
幸せに基準などない。
幸せであるかどうかをきめるのは、自分次第。


【最後に】
新しいことに次々と手がけていく上野さん、これからの展望は「専門職を必要としない事業システムを構築していくこと」「ミャンマーを始めとするアジアの他国にも事業を広めること」だそうだ。

今回のキャリアセミナーは上野さんのまだまだ稀な経験をお聞きすることができる素敵な機会となりました。ありがとうございました。

(文責:岩田)
中央が上野さん、左からインターン生の坂田、小山、赤塚、岩田、小野、山崎