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2012年8月6日月曜日

アマタナコン工業団地見学

7月6日、チョンブリにあるアマタナコン工業団地を訪問しました。以前アマタナコン工業団地で勤務されていたパーソネルコンサルタントのアドバイザー鈴木さんのご協力のもと、
合計4社の日系製造企業の工場を見学させて頂きました。


最初はアマタナコン工業団地事務所で、鈴木さんよりタイの現状、タイにある工業団地、
アマタナコン工業団地についてレクチャーを受けた後、以下の企業を訪問しました。

・日本ペイント
・SBコイルセンター
・西居製作所(オオタテクノパーク)
・南武(オオタテクノパーク卒業会社第一号)

今回の訪問を受け入れてくださった各担当者の皆さん、ありがとうございました。


NIPPON PAINT (THAILAND) CO., LTD.

初めに訪問させていただいたのは、日本ペイント株式会社NIPPON PAINT (THAILAND) CO., LTD.です。1881年に創業された歴史の長い会社であり、塗料のリーディングカンパニーとして知られています。今回の見学では、会社説明はGeneral Managerの牟禮さん、工場内での説明はFactory Advisorの多田さんがご担当してくださいました。

タイには1967年、シンガポール資本の企業と日本ペイントの合弁会社として設立されました。汎用はパパデン工場(サムットプラカーン)、工業用はバンパコン工場で製造を行っています。汎用では主に建築用塗料、工業用では自動車塗料を多く生産・販売しています。昨年2011年度のタイ塗料市場シェアを21%占めています。昨年は洪水、日本の震災を影響を受け業績がやや下降しましたが、今年は需要をまかなうのが大変になってきているほど、上昇しているそうです。

工場では1階でフィルタリング充填2階で生産工程の管理を行っています。製造過程はそれほど複雑ではなく、比較的簡単なシステムで製造されています。以前他社の工場を見学した際に、細かい部品組み立て作業、品質管理を多くの女性従業員が担当されていましたが、貴社では力仕事が多いため男性従業員が目立ちました。また工場内を見学して印象的だったのは、工場敷地内の色使いがとても綺麗だったことです。壁や至る箇所が鮮やかに塗られていました。

また展示品の中で、各国・地域での自動車の人気色を調査したデータが展示されてありました。データによると、日本、アメリカ、タイでは白が一番人気で、ヨーロッパ諸国では黒が圧倒的に売れていました。ヨーロッパではダークな色を好む人が多いそうです。日本はシンプルな色が多く、アメリカでは白の次に赤などの濃色が人気のようです。塗料メーカーならではの、興味深いデータでした。

競合メーカーは何社かありますが、貴社では「コスト」と「サービス(アフターサービス)」で差別化を図っています。社員マネジメントとしては、基本的に日本のやり方を導入しますが、タイに合う様に幾らか修正を加えて「応用する」という形をとっています。

日本ペイントは1962年にシンガポールで合弁会社を設立し、その後、アジアのみならず、北アメリカ、ヨーロッパに約50社の拠点を構え、業界トップの海外展開を行っています。社会全体で叫ばれている様に、これからはグローバル化の時代。積極的な海外進出及び海外ネットワーク強化により、幅広い事業を展開することが出来ます。このグローバル社会の中でビジネスをしていくには、視野を外に、世界に向けていかなければと強く思います。日本ペイントは日本のグローバル企業の代表として、今後も益々日本をリードしていく企業であると実感しました。
(文責:赤塚)



SB COIL CENTER (THAILAND) LTD.


2件目にはSB COIL CENTER (THAILAND) LTD. にお邪魔させていただきました。SB COIL CENTER (THAILAND) LTD. 2004年に創業した住金物産のグループ会社で自動車、電機業界を支える鉄鋼加工会社です。

まずはじめに工場の中を一望させていただきました。多種多様なコイルが並び、それを加工する機械が鎮座しており圧倒されました。御社ではこのコイルを輪切りにしたり、指定の大きさのプレートにしたりしているとのことでした。

ご案内していただいたのはVice Presidentである泉谷さん。泉谷さんはタイに赴任してきて24年半、赴任当事のことから現在に至るまでの様々なお話を伺うことができました。なかでも印象的だったのは、仕事のやりがいを経営者の性だとご自身でもおっしゃっていたが、会社の利益が上がること、仕事が埋まってきたときに感じることでした。そして経営者として大切なことは常にクリエイティブな仕事ができるかどうか考えながら行動することだとも。

クリエイティブな仕事を出来るかどうか考え続けることは非常に難しいことだと思います。しかしそれはベースとなる社会人としての知識をまだまだ身につけていないからではないかとも考えました。
これから先、大きく成長するために常に少しでも物事が新しいことが何かできないか、考え続けていくことからはじめていきたいと感じました。
(文責:岩田)

NISHII FINE PRESS (THAILAND) CO., LTD.

3社目に訪れたのは、アマタ工業団地内にある、小規模賃貸工場のオオタテクノパークに入居をしている会社、西居製作所(Nishii Fine Press (Thailand) Co., Ltd.)です。

私たちがオオタテクノパークに到着すると、入居をしている会社の製品が展示してあると共に、左のような看板が目に飛び込んできました。
 オオタテクノパークは、一言で言えば「タイの製造業を支える大田区基盤技術の集合工場」とのこと。

その後社長の西居広和さんが私たちを出迎えてくれ、工場を見学させていただきました。
西居製作所は昭和24年に設立をされた会社で、主にデジカメ、携帯用リフレクタから極薄フィルムまで、精密プレス製品を手がけます。

もともと日本で事業を行っていましたが、販売先のお客様の海外進出が進み、海外へ輸出することが多くなってきて、西居さん自身もお客様の中国における事業立ち上げを手伝うために中国で2-3年ほど過ごしました。

そんなさなか、中小企業を集積する、レンタル工場の中小企業でも進出が容易だという売り込みでオオタテクノパークの話が舞い込んできました。将来性があると見込み、
西居製作所は
20074月にオオタテクノパークに入居をします。こちらで順調に工場の面積を増やしていき、最近は工場が手狭になってきているそうです。

タイには日系企業が沢山ありますが、名前の知られていない中小企業が売り込みに来ても、中々話を聞いてくれませんが、大田区の技術力を持った会社だということをアピールすることで、タイにある日系の会社を中心に売り込みができるのではないかとのことです。
(文責:近藤)

NAMBU CYL (THAILAND) CO., LTD.

最後に見学させていただいたのは、油圧シリンダメーカー 株式会社南武 (NAMBU CYL (THAILAND) CO., LTD)です。Managing Directorの吉富さんに案内していただきました。

こちらの企業は20022月にタイに進出し、20066月から20125月まで、上述の『オオタテクノパーク(以下、OTP)』に入居していました。長屋のような雰囲気で互いに情報交換がしやすく、居心地のよかったOTPでしたが、レンタル工場なので拡張ができませんでした。NAMBUさんは事業が順調に成長していったので、2010年に自社工場の建設を決め、今年の6月には新工場に移転、同720日には開所式を行い、現在はアマタナコン工業団地内の一角で新工場を稼働させています。

海外に進出した理由は、油圧シリンダの純正部品の確保ならびに、タイ・アセアン諸国に完成品を供給するためです。今ではたくさんの中小企業だけでなく、安倍元首相や大阪の橋下元知事も視察に訪れるほどの経験と実績を持つ企業になりました。

『産業の空洞化』について意見を求められたときは、吉富さんは「海外進出が日本や自社にとってマイナスになるとは限らない」と答えるそうです。理由は、南武さんはタイに進出したことで市場が失われずに済み、タイでの仕事も増え、結果的に本社が潤っているからです。つまり南武は、間違いなく成長しているのです。

海外に進出し現在に至った今、吉富さんが強く思うことは『情報量』の大切さです。
情報が不足していると判断を間違え、命取りになるかもしれない。特に昨年の洪水では、従業員を守るためにギリギリまで情報を集め、適切な時期だけ避難できるようにしました。

また、労使交渉でも情報が非常に大切です。タイ人のほうが情報量を持っていることが多く、「他の企業では○○バーツもらえるのに」と主張する社員に、如何に納得してもらうかが難しいそうです。
昨年よりも、もしくは周りよりも給与が低いだけで、タイ人従業員にとっては不満となり、会社を去ってしまうことになります。

ある日系企業では、新人の通訳さんが間違ったニュアンスで給与の説明をしてしまったがために、タイ人従業員が全員やめてしまい、会社が回らなくなってしまったことがあったそうです。
一番最初に優秀な通訳をいれて、細かなニュアンスも的確に伝えられるよう環境にすれば、このようなことは未然に防げるそうです。

新たな取り組みとしては、従業員としてインド人を雇用していることです。今後は間違いなくインドがNO.1の市場になるはずですが、インドは宗教的・文化的背景から一筋縄ではいかない国で、味方がいないと踏み込むのは困難だろうというのが吉富さんの考えでした。
一般にタイ人とインド人の折り合いは悪く、製造業でうまくいっているところはなかったそうです。様々な人から反対されましたが、「初めてだから失敗してもいいや」という気持ちで始めた結果、意外にうまくいって現在に至ります。
  
南武さんでは、3年以上働いた従業員を順次日本へ連れて行く取り組みを実施しています。
1ヵ月前から日本のどこに行きたいか計画を立ててもらい、56日で吉富さんが案内します。
工業団地で働くタイ人従業員は農家出身の人が多く、飛行機にすら乗ったことがない人が多いです。タイは親日家が多いことで有名なこともあり、「せっかく日本の企業で働いているのだから、日本に連れて行ってあげたい」という思いで始まったそうです。

年に3回は従業員一人一人と面談する時間を設けており、60人の従業員と吉富さんで話をします。好きなことを話していいという場なので、聞き手の吉富さんとしては楽ではありません。しかし効果はあり、トラブルの火消しに一役買っています。面談が全て終わった時はいつも重要性を感じるそうです。

工場では整理整頓と安全を重視しており、月一で工場をストップさせて大掃除を行います。あいさつは従業員同士でもするようになり、私たちが見学に行った時も、従業員の皆さんは作業の手を止めて笑顔で挨拶してくださいました。

タイ人は手先が器用で、身の回りのもので素晴らしいものを作り出すことに長けています。新工場でも、彼らのアイディアで作られた道具がたくさん置いてありました。特に固定器具は、本社がアイディアを取り入れたほどの完成度だそうです。
 
吉富さんの言葉で印象的だったのは、「タイ人が定着しないのは、タイ人のことをバカにしているから。タイ人のいいところをよく褒めている会社はうまくいっている」というものでした。
その言葉通り、南武さんはとても「人」を大切にして、従業員がイキイキと働く魅力的な企業でした。
(文責:坂田)


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